アートセラピスト見習いがアートセラピスト養成スクールについて書いています。
犬の爪切りといえば爪自体に神経も血管も通っていることから、
爪切りの判断が難しい、出血させてしまうのが心配という方も
多いようですが、マルチーズの場合は白い爪が多いために
それほどは心配しなくても済むと思います。
黒い爪の場合は血管が透かしても見えにくいため慣れるまでに大変ですが、
白い場合は血管の手前まで切れるという方も多いようです。
また爪切りの道具としてはギロチンタイプやニッパータイプがあります。
一般的にはギロチンタイプのファンが多いようですが、飼い主さんが
使いやすいものがベストです。
もちろんトリマーさんに任せることも良いですが、マルチーズを飼っているなら
しつけの一つとして飼い主自身でやってもらいたいものです。
また、爪切りでもし間違えてしまったら血が出てしまうことも考えられます。
このような時に備えて止血剤を用意しておくのが無難です。
止血剤につけておけば血も止まります。パウダー状で手足を突っ込むだけで
済むものは使いやすくて便利です。爪があまり伸びてしまうとそれにつれて
血管も伸びてしまうこともありますので、定期的に処理してあげるのが一番です。
シャンプーやリンスは定期的で構いませんが、栄養分によっても変わってくる
爪の成長はやはりこまめにが基本です。マルチーズが歩きにくかったり、
爪が肉球に食い込んでしまったりするのはかわいそうです。
室内でもしぐさなどを観察しておいて何が影響しているのかよく知ることです。
いつまでも健康的でかわいいマルチーズでいて欲しいものです。
“それでいいのだ”・・・とは、かの有名な漫画の台詞ではありません。こちらの方は、
“これでいいのだ”ではなかったでしょうか? とてもシュールな漫画で、しかし、作者の人生に
対する態度、というものが、常に肯定的であった漫画でした。更には、作者の、人間に対する
まなざしも、いつも、温かいものでした。
シュールに描こうとすればするほど、作者の温かいまなざしが随所に出ている、といった、
そんな漫画でした。あの漫画を、いま、鑑賞する度に、わたしは、アートセラピーを受けている
ような気持になれます。実際、一種のアートセラピーになっているでしょう。そして、作者は
アーティストであると同時に、アートセラピストとしての役割も果たしているように、わたしには
感ぜられるのです。
もう、その作者は無くなってしまいましたが・・・わたしは、その作者と、時代を共有できたことを、
恵みであったように思っております。まさに、それでいいのだ! ですね。わたしと同じように、
彼の漫画に癒された方、沢山いらっしゃると思っております。
こんな一文を書くことに拠って、読んで下さる方が、“これでいいのだ” の漫画を思い出して、
また、癒されたらいいなあ・・・と思います。そしたら、わたしは、アートセラピストのように、
あなたへの癒しをファシリテーションできた、と、いうことになるでしょうか?
で、あれば、それもまた、とても嬉しい話ですね。アートとアートセラピー、アートセラピスト
を通じての、癒しの話でした。
アートセラピーが、アートが持つ力を通じて、癒しの場をつくっていく、ということであるなら、
アートセラセラピストは、ある種のファシリテーターである、ということが言えるでしょう。アート
セラピストが、ファシリテーターとなり得るかどうか? というところのひとつの目安は、・・・
これは、あくまでも、わたしの個人的な考え方に過ぎませんが・・・個々のアートセラピストが、
人生に対して、どのような態度でいるのか? ということに尽きて来る、というふうに思うのです。
あるいは、個々のアートセラピストの、人間に対するまなざし・・・ということになるのかも
しれません。前者も、後者も、なにも、アートセラピストに限った話ではなく、セラピストや
カウンセラーの、誰に対しても問いたいところではあります。また、セラピストやカウンセラー、
といった、心理職に対してだけではなく、芸術家に対しても、人生に対する態度や、
人間に対するまなざし、ということについて、問うてみたい、というふうに思います。
わたし自身、それらのことについてどうなのか? ということを、深く考えたい、と、いま、
コラージュ療法の研修を受けていた頃のことを思い返しては、そんなふうに考えております。
わたしは、アートセラピストでもありませんし、芸術家でもありませんが・・・。わたし自身、
人生に対して、どんな態度で臨んでいるのか? 人間に対するまなざしは、どんなもの
であるのか? ということを、深く問うていきたい、と改めて、思います。
アートセラピストとしての、彼の言葉です。・・・秩序、ということが、当面、その方にとって至高
のことであるのであれば、それに従って創造していけばいいんです。カオスとコスモスは、
同じことを違う言い顕し方をしているのだ、ということに至ることができれば・・・。
それで、コスモスの集まりがカオスになり、カオスの連続がコスモスになったりする・・・その、
不規則で規則的な繰り返しが、わたしたちの人生であるのかもしれません。アートセラピー、
と申しますか、アートというのは、その一端を顕そうとして、あるいは、全体像を顕そうとして、
誰もが、創造性を発揮している・・・という言い方はどうでしょうかね?
で、わたしは、アートセラピストとして、その瞬間、瞬間に、いつも、居あわせることが出来ている、
ということで、まさに、至高のことですよね・・・と、言う答えを、類い稀なるアートセラピスト
(と、わたしは、もう、彼のことを、そんなふうに思い始めております)が、嬉しそうに、本当に
嬉しそうに、話してくれました。
自分が、アートセラピストとして、アートセラピーの場に、いつも、居ることが出来る、ということ
が、本当に嬉しいんだ、ということのようでした。まさに、アートに関わっていくのが、彼の天性で
あるように思われますし、セラピストとして仕事をしていくことも、彼の天性であるように、わたしには、
思われるのです。
自分の仕事は、アートセラピストなんだ・・・ということを、この頃、強く思うのだそうです。そんな彼の
ことを、わたしは、羨ましく思います。
先日、精神分析の話をしていて、クライエントに自由連想をさせる、というところで、・・・では、過去
の記憶を振り返ろうとしたときに、そのクライエント特有の、記憶の引っ張り出し方があって・・・。
例えば、記憶術について知っているクライエントであるなら、記憶術の方法を使って記憶の整理
をしているかもしれないから、逆に、自由連想、というやり方は、そういうクライエントにとっては、
難しいかもしれない・・・というような話がされていたことを覚えております。
自由連想ですから、自由に振り返ったらいいのですが、記憶についても、記憶のやり方、という
ことをあらかじめ自分に設定しているのだとしたら・・・なんだか、自由がないですよね・・・。
アートセラピーを受ける場合にも、そういう几帳面な方は、きちん、きちん、と、順序どおりに
物事をこなしていかないと気が済まないのでしょうね。
さて・・・そういうクライエントに対してのアートセラピー、ということで考えるなら、アートセラピスト
の側は、どのような点に留意して、セラピストとしてのファシリテーションを図るのでしょうか?
件のアートセラピストは、わたしの、こういった問いに対しても、いつもと同じコンセプトの許で
応えてくれました。
・・・秩序、ということが、当面、その方にとって至高のことであるのであれば、それに従って
創造していけばいいんです。カオスとコスモスは、同じことを違う言い顕し方をしているのだ、
ということに至ることができれば・・・。
そう、そういうことです。いま、実際に、こうして、コラージュ療法を体験してもらっていますが、
このアートセラピーも、自由な形で対象を切り取って、形式にとらわれず、自由に貼る、と
いうことによって、その場に、なにかが起こる、ということ、瞬間瞬間を大切にしている・・・と、
いうことなのです。
これも、ひとつのアートセラピーですし、わたしのことを、アートセラピスト、と、思って下さるなら、
わたしの、アートセラピストとしての役割は、あなたの創造性の邪魔をしないこと、ということが、
きっと、最優先となるでしょうね。
ほら、もう、こんなに、いろんな事象が、切り取られていますね。一旦切り取られたそれらの事象
(オブジェクト)が、一枚の紙の上で、どのように再構成されるのか? というところを、わたしは、
あなたと共に、その場面、瞬間に立ち会うことが出来るわけです。
それこそ、わたしの、アートセラピストとしての、セラピスト冥利に尽きる瞬間瞬間となりますね・・・。
そんなことを、件のアートセラピストは、目を輝かせつつ話しておられました。わたしの方も、彼
につられて・・・選ぶ、切る、考える、貼る、といった、一連の作業を、それこそ、アートである、
というふうに捉えて、心愉しく取り組むことができました。
ああ、これが、アートセラピーであるのか・・・というふうに実感が出来た瞬間である、ということが
言えるでしょうか? 件のアートセラピストの、彼の言葉で言うところの、ファシリテーション・・・
によって・・・。
ところが、アートセラピーというと、その本来的な意味は、創造的な行為、つまり、実際に、
なにかの創作活動を行なうことを通じて癒しを得るということだ、というふうに考えている
アートセラピストもいるようです。わたしが研修を受けたアートセラピストに言わせると・・・
無理に描こうとしても、造形しようとしても、そこに、リアクションが生じる場合もありますから、
それよりも、興味が湧く、という瞬間を大切にすることですね・・・。
その興味の方向が、鑑賞、という方向であったとしても、それは、立派に、創造的な行為である、
というふうに、わたしどもは考えますけれどね・・・。また、件のアートセラピストは、こんなふう
にも話しておられました。そしてヴィッツを値引きして買うのでした。
本来、アート、芸術、というのは、自由の産物である、ということですね。ですので、アートにせよ、
アートセラピーにせよ、アートセラピストについてだって、限定的な意味を付与しようとすると、
そこから、するり、と逃げてしまうようなことになってしまいますよ(笑)・・・。と、いうふうに話して
おられました。
いまは、絵を描きたくもない、という気持ちを、どのようにして顕すか・・・というようなことも、立派に
アートセラピーになりますし、そういう場面で、適切なファシリテーションが出来るかどうか、という
ことが、アートセラピストとしての仕事の、重要な部分である、ということになりますね・・・。
ということでした。ああ、では、わたしだって、自分の創造性というものを、アートセラピーによって
刺激される・・・という体験をすることが、あるかもしれないわけですね?
研修でコラージュ療法の指導をして下さった、心理カウンセラーであり、アートセラピストでも
あるその方は、アートが本来持つ力、ということで、こんな話をして下さいました。自分で、
創作することはとても素晴らしいことだけれど、実際に、絵に描いて見たり、造形したり、
こうして、貼り絵をしたりすることばかりではなくって、他人の作品を鑑賞することも、
立派にアートセラピーになりますよ。
・・・ですから、美術館だとか、音楽会だとか、それから・・・もっと身近なアートとして、映画など
を積極的に観る、ということが、アートセラピーとしてとても有効です。皆さんが、誰か、他の人
を連れて、そういう場へ出掛けて、作品を鑑賞して、感想を話し合う・・・といったことも、双方に
とって、アートセラピーになりますし・・・その場合、それぞれが、それぞれに対するアート
セラピストの役割を果たしている・・・ということも言えるのではないでしょうか?
と、そんなことを話しておられました。確かに、わたしなどは、自分で絵を描いたりすることは
苦手ですが・・・美術館などで絵を鑑賞することは、嫌いではありません。わたしにも、好きな
画家がいて、その画家の作品が、近くの美術館へ来ることがあると、出掛けて、鑑賞します。
そういう行為が、アートセラピーになる、ということだったら、なんたか、愉しいなという気が致します。
それに、誰かに対するアートセラピストとしての役割を担える場合だってあるんだなと思います。
ここで、アートセラピーについていろいろと考えているうちに・・・わたしが、以前、研修で体験
した、コラージュ療法、というのが、アートセラピーの一種なのではないかな・・・と思い当たって、
いろいろと調べてみました。あのとき、研修を担当してくださった講師の方は、心理カウンセラー
だとおっしゃっておられましたが、アートセラピスト、というふうにお呼びしても差し支えないの
かな・・・というふうに思っております。
実際、研修で行なったコラージュ療法を、実際のカウンセリングでも用いているのだと仰って
おられましたから・・・。で、わたしは、本来、絵心などがなくって、自由に絵を描いてください・・・
なんていうふうに言われても、せいぜい、へのへのもへじ、と描くくらいのことしかできません。
なにかを写して描け、と言われれば、出来ないまでも、なんとか、その真似ごとはやりますが・・・。
そんなふうですから、実際、わたしは、アートセラピーとか、アートセラピスト、といったような方とか、
そういったことや人とは無縁だったんですね。ところが、たまたま、職場の研修で、コラージュ療法
を体験して、あれも、アートセラピーのひとつであるのだし、講師の先生は、アートセラピストで
あるのだ、ということで、小さなご縁を戴いきました。
それでもって、実際に、アートセラピーを体験することが出来たわけです。わたしにしてみれば、
とても幸運だったと思います。アートが持つ本来的な力、というものに対して、わたしは、その一端
に触れることが出来たような気がするのです。
アートセラピーを行なうことの出来るセラピストのことを、アートセラピスト、というふうに言い
ますが・・・この、アートセラピストと呼ばれるには、いろんなアートセラピーがあるその全て
をやれなければならないのでしょうか? それとも、絵画療法であれば絵画療法を専門に
行なっているセラピストであっても、アートセラピスト、というふうに呼んでもよいのでしょうか?
そのあたりのことですが、どうも、わたしには、定かではないところがあります。他のアートセラピー
として、コラージュ療法だとか、音楽セラピー、といったものもありますよね。これらのセラピーを、
個々に、単独で、専門に行なっているセラピストを総称して、アートセラピスト、というふうに
呼んでいる、というところがあるのかもしれません。
そのあたりのことは、わたしは、そんなに重要なことではないように思います。アートをツールと
して用いたセラピーがあって、その、アートセラピーを行なうセラピストを、アートセラピスト、
と呼ぶ、ということでいいように思うのですが、この点、如何でしょうか?
それにしても、アートセラピー以外のセラピーについてだと、なんだかなあ・・・と、拒否反応を
示すようなクライエントでも、アートセラピーだとか、アートセラピスト、だとか聞くと、警戒心が
緩む・・・というのは、これは、なんだか、アートの効用、というようなものでしょうかね・・・。
アート、と聞いて、全く駄目だ、自分には理解できない・・・というようなことを思う人、というのも、
実際、居るように思うのですが・・・。